2010年03月18日
余命一カ月の

『余命1ヶ月の花嫁』を読んで。
めっちゃ、よかったです。
オススメです。ぜひ読んで見てください。ハンカチなしには読めませんね。
実在の女性、長島千恵さんは素敵な心の持ち主ですね。
20代前半で乳がんの宣告を受け、始まった闘病生活。
一度手術は成功し、普通の生活の戻ったかと思ったその半年後、
再び、発病。そして家族は医者からの余命宣告を聞く。
千恵さんの長い闘病生活とその周囲の人々の感情が細かく描写されている
ドキュメンタリー。
自分が余命宣告を受けたらどうするんだろう。
それが自分ではなく愛する人だったら?
家族、兄弟、恋人、親友。
その命があと1日だったら?
1週間だったら?
1ヶ月だったら?
1年だったら?
3年だったら?
10年だったら?
自分の寿命が80年だとしても、100年だとしても、
あと100年後には必ず死んでいるだろう。
残りの人生、どう生きるのか。人はもっと考える必要があるのかも知れない。
【気になった言葉】
「人間やれば何でも出来る」
ホントにそう思う。沖縄に来て、旅に出て、その思いはますます強くなった。
人間、たいていの環境でも生きられるし、どんなことをしてでも生きていくことは出来る。
自分で作ったワクや既成観念に囚われすぎ。
「自分がなるまで他人事」
確かにその通り。世界の現状も自分の目で実際見ることで「ソトノコト」ではなくなった。
「人を愛し、愛されること。人を支え、支えられること。」
一番大切なことだなぁ。もっと大切にしよう。
「誰もが普通に出来ること(普通の生活)を目標にしなくてはならない」
普通って実は普通ではなくってすごくありがたいこと。
日本で感じる「普通」は一人で作ることは絶対出来ない。
みんながいてみんなが作ってくれている。
ありがたいこと。
いつか教わった。「ありがとうの反対は当たり前。」
この世に当たり前なものなんてほとんど存在しない。
みんな有り難い。
「みなさんに明日が来ることは奇跡です。それを知っているだけで
日常は幸せなことだらけで溢れています。」
「生きてるって奇跡だよね。いろんな人に支えられて生きているんだよね。
もう私元気になったらすごい人間になれると思う」
「人生にたら・ればはない」
小学生の頃、親戚のおじさんによく言われていました。
「勝負の世界にたらればはない」と。
【感じたこと】
ありがとうの感度って人によって違うと思う。
僕は旅に出ることであがった気がする。
体がつらいと心もやられる。その逆も然り。
「不安」なんて世の中のほとんどの人が抱えて生きている。
「不安」という心が生まれてくるのは当たり前。
その不安とどう付き合うか。抱えたままどう走れるか。
最近、「感無量」と感じたことはありますか?
そんなにちょくちょく起こりうるものではないけれど、
そんなことが感じれる瞬間がたくさんある人生ってきっと楽しい。
そんなことをたくさん感じられる人生でありたい。
ありがとうって言葉なんかじゃ足りないくらいありがとうって感じる瞬間がある
いまここに「生きている」って感じれる瞬間ってすごく大切だと思う。
日本に帰ったら家族に会いたいって思った。
祖父や祖母は元気かなぁ?親父や弟は元気かなぁ。